インタビューInterview

村上早Saki Murakami

銅版画家

プロフィール

1992

群馬県生まれ

2014

武蔵野美術大学油絵学科版画専攻 卒業

2016

同大学院造形研究科修士課程美術専攻版画コース 修了

2016

個展 「村上 早展」ワンダーウォール都庁、東京
個展 project N 66 村上 早」東京オペラシティ アートギャラリー、東京

2017

同大学博士後期課程造形芸術専攻作品制作研究領域 中退

2019

個展 「gone girl 村上 早展」上田市立美術館、長野

2021

個展 rin art association、群馬

2022

個展 「New Artists pick Wall Project 村上 早|Stray child」横浜美術館、神奈川

2016

グループ展 「VOCA展2016」上野の森美術館、東京

2017

グループ展 「群馬の美術2017-地域社会における現代美術の居場所」群馬県立近代美術館、群馬

2018

グループ展 「放輕松-動漫謬想的秘密花園」銀川當代美術館、銀川 中国

2019

グループ展 「上田市立美術館コレクション展 版表現の魅力」上田市立美術館、長野

2021

グループ展 「カオスモス6-沈黙の春に」佐倉市美術館、千葉

2022

グループ展 「第3回 PATinKyoto 京都版画トリエンナーレ 2022」京都市京セラ美術館、京都

学生時代、印象に残っている出来事があれば教えてください。

学部の卒制時、銅版工房のみんなと夜遅くまで残り、各々が黙々と版に向かっていました。 講評日が迫る中で、朝から晩まで制作のことだけを考え、時々、夜食を食べながら友人たちと愚痴を言い合い、またそれぞれの制作に戻る毎日。 そんなある時、夢を見ました。桜の花びらが舞い散る中をただ走る夢でした。 夢の中で顔にパチパチ当たる花びらと、暖かい春風が気持ちよかったのを覚えています。 普段、悪夢しか見ない私がそんな夢を見るくらい、友人たちと黙々と版に向かっていただけの、あの時間が幸せだったのだと思います。

様々な版画技法がある中でなぜ、銅版画を用いて制作するのですか?

「銅」という素材と、「傷をつける」という行為に惹かれているからです。 確かな存在感のある金属に、永久に残るであろう傷をつける。 銅板は、私が死んで肉体が朽ちた後の1000年先も残ってくれるそうです。 全てのものが不安定な世界で、出来るだけ確かな存在に縋りたいという気持ちがあります。 私にとって、それが銅版なのかもしれません。 私はその銅という存在を、自分の心と重ねながら制作をしています。 銅につける傷は心の傷であり、刷り取られるインクは血、そのインクを刷りとる紙はガーゼ。 心に見立てた版に自ら傷をつけることで、加虐行為と自傷行為のその両方を行います。

床に広げ並べた銅の板が窓からの光を反射させ、 部屋の中があかがね色にチラチラ光ります。 酸化した版に緑青(錆)がわしゃわしゃと生い茂ります。 銅の上に手のひらを乗せると、体温が銅に移り暖かくなります。 手の汗で酸化して、私の手の形に色が変わります。 まるで生き物のような生々しさを持つ銅版が、私は好きです。

あなたにとって、作品を制作するとはどういうことですか?

制作は自傷であり加虐であり、そして自己治癒でもあります。 「制作」自体は、心臓に空いた穴を埋める作業をしている気分です。 空いた穴にひたすら枯れ葉を詰めては、詰めたさきからぼろぼろと葉が溢れてゆくようなそんな虚しさと苦しさが常に付き纏います。 それでも、空いた穴に風が通ると冷たいし寒くて痛いので枯れ葉を詰め続けなければなりません。

私の絵には、誰かを救うとか、何かを訴えるとか、そういう力は無く。 ただ、私と同じような傷をもった人が私の「傷(作品)」を見て、”同じ”であることに少しホッとしてくれたら嬉しいと思ってます。

卒業後、制作を続けていくうえで苦労したことがあれば教えてください。

孤独と、制作に対する情熱の持続です。 制作に悩んでいてもそれを理解してくれる人間が周りに誰もいない環境。 ひたすら悩んで筆が全く進まず、何週間もウンウン唸っていたりすると「なんで何もしてないの?」なんて、家族から言われたりします。 「制作を続ける」ことがどれだけ大変なことだったかを大学を出てから痛感しました。 制作のこと「だけ」を考えていられた学生時代は、当たり前に絵が描けますが、 生きるために色々なことを考えなければならなくなった時、それが難しくなりました。

「版画専攻」は「グラフィックアーツ専攻」という名前に変わりますが、グラフィックアーツ専攻を目指す皆さんへメッセージをお願いします。

私にとって「版画専攻」は銅版画や素晴らしい人たちに出会わせてくれた大切な場所です。 そこが新しく生まれ変わりこの先も続いてくれること、大変嬉しく思います。 「ものを作れる」ということはその時点ですでに尊いことです。 ですが、これから「自分は何を作ればいいのか」とたくさん悩むと思います。 自分のやってることは間違っているかも、と何度も思う。 だから、大学にいられる間の出来る限りの時間、制作と向き合ってください。 そしてゴミをたくさん作ってほしい。 悩みすぎて絵が真っ黒になってもいいし、作った後、作品を焼却炉に直行させてもいい。 講評会で先生たちを困らせていいし、みんなの前で大泣きしても良い。 ゴミをたくさん作ってください。 地面に散らばったその「ゴミ」たちが踏み固められ、歩むための土となるはずです。 あと、できるだけ先生たちと話をしてください。
たくさん悩んで、苦しんで。それを全て自分の制作の糧としてください。

「おどり」2021年
銅版画 ed./10
150×118cm
撮影:齋梧伸一郎

「まよいご」2022年
銅版画 ed./10
118×150cm
撮影:末正真礼生

「ふうせん2」2018年
銅版画 ed/10
118×150cm
撮影:齋梧伸一郎

「かくす」2016年
銅版画 ed./5
118×150cm
撮影:齋梧伸一郎

「ふるえ」2015年
銅版画 ed./5
114×166cm
撮影:齋梧伸一郎

「まわる」2015年
銅版画 ed./5
123×155cm
撮影:末正真礼生